パタパタパ
何歳頃だろうか?
たぶん5歳くらいの時。
チェロの先生が、教本1冊終わらせるたびに玩具をくれる習慣があり、
数々の頂いた玩具の中に「パタパタ板返し」がありました。
クルッとするとその後の板がパタパタと裏返しになっていく玩具なのですが
それを初めて見た時の衝撃といったらもう。
無間地獄に叩き落とされるような、絶望の淵に立たされたような、
人生の不条理を一気に見せられたような。
とにかくその玩具の理不尽さに打ちのめされ、
絶望したのを今でもはっきり覚えています。
そのイメージは人生の要所で常に顔を出し、
今もまだ自分の中の一角を担っているようです。
例えば小学生の頃、20m先で発車しそうなバスがいた時、
走れば間に合うかもしれない、
でも走って乗ったが為にもしあのバスが爆発したらどうしよう?
また高校生の頃、この速さで歩くときっとあの電車に乗れるけど、
少しゆっくり歩いたら一本乗り過ごして、
結果ホームで待つ間に、あの娘が後ろから追いついて一緒に帰れるかもしれない。
浪人1年目の入試の日、一瞬でも音階の音程を外したら、人生が終わるんだろう。
このお金で燕尾服を買うか、マイクを買うかで今後の人生が変わる気がする。
いわゆる人生の岐路に立った時に、必ずパタパタが脳内を支配するのです。
この道を渡るか、次の角を曲がるか、
その決断一歩を踏み出すことにより絶対その後の景色が変わるから
その一歩を、パタパタの1裏返しとしたら、パタパタパタパタ、とその後の未来、
全ての景色が変わっていってしまう、事への、恐怖心。
それが酷くなると、何気ない会話のやり取り一つだけでも、
その人との関係性が刻々と変わってゆくのではないか。とまで思ってしまうのですね。
確かに変わってゆくのだけども。
さぁ今!目の前にいる人と会話のキャッチボールを5ターン、
え。5ターンも!してしまったぞ?
こいつぁえれぇこった、今の時点でこの人との未来の形は100通り以上、
はい、もうこの先は誰も予想がつかないー
息をするだけで、目線を動かしただけで、
今目の前のおじいさんに席を譲るだけで、
今このフレーズを上手く弾けるか失敗するかで、
快速に乗るか各駅で行くか、
今、笑うか怒るか、それとも泣くか?
もしあの時ああ言っていれば!
あの時あんな事しなければ!
自分の人生のラインは目まぐるしく、無限のパターンで
パタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタ
変わり続けている!!
その先は、それ故の様々な結果が1秒間に何億通りもの速さで、
カオスとなりっ
一歩踏み出す事により!
1秒先の未来がっ
一寸先は!
闇、よりも深い混乱。混沌。
うわぁぁぁぁー
きゃーーー
パタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパター
と、まぁ
30も越え、そのような事も減ってきました。
しかし考え方の根本はもはや変えられないので、
今もその恐怖、否、今は焦燥感とでもいいましょうか。
板返しの感覚は子供時代から思春期、
20代前半までが1番目まぐるしかったように思います。
その間に身につけた、それをやり過ごす技術も確信も打算もあります、たぶん。
そして今、何を1番言いたいかというと、
近々Ja3podを通じて関口将史はパタパタ板返しの新たな1裏返しを繰り出そうと思います。という決意表明です。
しかしながら繰り出し方を見極めないと未来がどのように変わっていくか解らないよね。と、ここ一ヶ月ほど日々1人で悶々と悩んでいたら
今朝起きた瞬間に、頭の歯車がズシャッと絶妙な動きをして、
ふいに一つの光明が見えました
あ、結局なんかどうあっても未来は無限大な気がする。
よし。こわいものなし。
それか、完全に壊れたか。
どっちかだな。
パタッ。